プロフィール

私の英語スタートは中学1年生からです。

ただ、小学生の頃から「英語が話せるようになりたい!」とは強く思っていました。

きっかけは「海外旅行」です。

小学4年生の時に祖父が定年を迎えることになり、記念にみんなでハワイに行くことになりました。

今でも鮮明に覚えているのは、「カナダ人のお兄さんとの、言葉のない交流」です。

お兄さんとはバスツアーで前後席で座っていて、私は母のとなり、カナダのお兄さんが私のうしろ。

私は「おぉ〜、みんな背が高い!目が青い!かっこいい!」とバス内をキョロキョロ見渡していると、ふと、うしろのお兄さんと目が合い、お兄さんがニコッと爽やかにほほえんでくれたのです!!!(海外では目が合うと、ウインクされたり、ニコッと微笑まれることがよくあります。)

この微笑みが、日本から出たことのない私には、衝撃でもあり、とても嬉しかったです!

「英語は話せないけど、どうにかコミュニケーションを取りたい・・・」そう思ってソワソワしている私の気持ちを察した母(←英語話せません)が「これでも渡してきたら?」と私に渡してくれたのは、柿の種!(笑)

勇気の種をもらった私は、ドキドキしながらそれを差し出しました。

すると、またニッコリと笑顔を返してくれるお兄さん!

わたしは柿の種を渡しただけで、ものすごい達成感でした(笑)(外国人にとって、柿の種が美味しいのかは謎ですが・・。)

そして、話はそれだけで終わらず!最終ツアーが終わるタイミングで、お兄さんがカナダのピンバッジをプレゼントしてくれたのです!

とても嬉しかったかのを、今でもハッキリ覚えています。

私とお兄さんの間に言葉はありませんでした。

ですが、この出来事が私に大きく影響を与えました。

お兄さんは私と柿の種のことなど、すっかり忘れてしまったでしょうが、私は心から感謝しています。

私ももう少し娘たちが大きくなったら、心に残る海外旅行に連れて行ってあげたい!と思っています。

学生時代「私の英語人生を変える出会い」そして中学校から、いよいよ英語の授業が始まります。

ハワイでの楽しい思い出を胸に、中学からワクワクの英語をスタート!!のはずが!!いきなりつまづきました・・・。

「Be動詞と一般動詞の違いがわからない!」

母に泣きながら聞いた記憶があります。

現在完了や前置詞、そもそも並べ方など英語って日本語と違いすぎて本当に難しい!

「英語、わからない・・・・。」私の英語人生は、いきなり初歩の文法でつまづいてしまい、雲行きは怪しくなりました。

 

英語の救世主、現る!

中学2年生の秋、新しい先生が学校に入ってきました。

NY帰りの女性の先生。

パンツスーツを着こなして颯爽と歩く姿や、ロングヘアをかきあげて教科書を読む姿、ネイティブと談笑している姿の全てが「超かっこいい」と感じ、私の英語への憧れは一気に高まりました。

「私もこんな人になりたいっ!!!」この想いは強烈に私に刻まれ、英語の授業を熱心に聞くようになりました。

「出来るだけ勉強したくない〜!」と思っていたダラダラ人間も「なんのために頑張るのか?」が明確になるとモチベーションが爆発するものなのですね。

目的って大事!!

 

カナダ帰りの親友

同じく中学2年生で、もうひとつ素晴らしい出会いがありました。

同じクラスの帰国子女で、こうちゃん(仮名)。

同じテニス部だったこともあり、とても仲良くなりました。

ですが、ずっと不思議に思うことがあって、毎日ほぼ同じ生活をしているはずなのに私は赤点ギリギリ。

でも、こうちゃんはいつも95~100点。(しかもだいたいどの教科も!)

中2の夏休み、私はこうちゃんのおうちに泊まりに行って衝撃とともに謎がとけました。

お泊まり会の夜、私はこうちゃんの部屋で英語のテストを発見しました。(ついこの間の期末試験のテスト。こ、これまた100点!!)

私はそこそこ勉強したと思っていたのに65点ぐらい。

英語のリスニングテストは、毎回ラジオ英会話から出題されます。範囲も広いし、内容も難しい。

私は最初から諦めていたのに、「こんな点数が取れる子がいるんだ!」と衝撃でした。

「帰国子女だから勉強しなくても100点取れちゃうのかな」と思いながら、「どうやったらこんな点が取れるの!?」と聞いてみました。

すると!!

こうちゃんがすらすらラジオ英会話を暗唱し始めました。

先生から「暗唱しなさい!」と言われたわけでもないのに、こうちゃんはテスト範囲を全て暗記していたんです!「バウバウ!」と犬の鳴く効果音すら把握していました。

私は顎がはずれるほど衝撃を受けました。

帰国子女(=天才)だってこんなに努力をしてるんだ!

自分の「そこそこ勉強した」の基準はなんて甘かったんだろう…と思い、私はそこから心を入れ替えました。

「得たいものは簡単に得られない。」「天才だって愚直な努力をしている」凡人の自分は圧倒的な努力が必要、ということが心に刻まれたのです。

努力の大切さを知った私はそれ以降心を入れ替え、勉強するときは圧倒的に勉強することを誓いました。

特に高校3年生の受験期は12〜18時間、毎日勉強しました。

「勉強量と時間なら誰にも負けない!」そんな思いで英語に関しても同じ問題集・単語帳を何十回と解いて、本当に全てのページが破れるくらい使いこみました。

不安と焦りと戦いながら、ひたすら勉強。

ものすごく辛い期間でしたが今でも「あれだけ努力できたんだから、きっとまた頑張れる!」という励みになっています。

結局、苦手な日本史が最後まで足を引っ張り、第一志望には落ちてしまいましたが、得意の英語に救われ早稲田の国際教養学部に入学することが出来ました。

と、ここまではサクセスストーリーに聞こえるかもしれませんが・・・大学入学後、ドーンと底に落ちます…。

 

初めての挫折「劣等生」

大学入学のワクワクも束の間、自分は圧倒的劣等生だと気付きました。

早稲田の国際教養学部は1/3が外国人留学生・1/3が帰国子女・そして残りの1/3が純ジャパ。(=純ジャパニーズ。純粋に日本で生まれ育った人のこと。当時はそのように呼ばれていました。)

講義は全て英語。テキストも、質問も、論文も、全て英語!!!教養学部なので、統計や生物学、広告、世界経済など、様々な分野を全て英語で学びます。

大量の分厚いハードカバーのテキストを目の前に「これ、電車の中で読んでる自分、めっちゃかっこよくない!?」と最初はうわついていましたが、そんな気持ちもつかの間、全く授業についていけません。

先生が話している内容も、留学生や帰国子女が何を質問しているかも、全く理解が出来ません。

「授業で当たりませんように!」「あの外国人に話しかけられませんように!」「あの帰国子女とプレゼングループ組まされませんように!」なんて逃げの姿勢・・・。

実に情けないですが、常に逃げることばかり考えていました。

「あれだけ必死に英語を勉強してきたのに!」「あれだけ外国人とカフェテリアで談笑することを夢みてきたのに!」全然話せず聞き取れず、ひっそり身を隠す自分。

英語は得意だと思っていたので、その自信は粉々に打ち砕かれ本当に惨めでした。

でもどこかで、こう感じていたのです。

「留学に行けば全ては解決する!」そんな現実は甘くない、ということも知らずに・・。

 

アメリカ留学

「透明人間のわたし」国際教養学部では大学2年生の秋から約1年、全員どこかに留学することになっていました。

英語がもともと得意な帰国子女たちはフランスに行ったり、ブラジルに行ったり!「色々な選択肢があっていいな〜」と思いましたが、私はやはり英語圏!

帰国した先輩の声を聞きながら、地域を選びました。

「日本人ばかりとつるんでいたから全然話せるようにならなかったわ〜!」というとても貴重な(?)先輩の話を参考に、ほぼ留学生がいないアメリカ人だらけの田舎大学を選びました。

「私の今までの悩みや劣等感を、全て吹き飛ばしてくれる夢の留学!」「絶対、英語を話せるようになって帰ってくる!」そんな決意で留学に行きました。

 

初日から絶叫

留学中は大学寮に住む予定でしたが、学生登録が終わるまでの最初の1週間は、自分で手配してホテルに住まないといけません。

治安もあまり調べずに行ったので、現地に行ってから気づいたのですが、私の留学先はアメリカの中でもけっこう危ないエリア・・・。

大学構内にパトカーが巡回していたり、知人がカフェで銃で脅されたり・・・危険な匂いぷんぷんの場所でした。(笑)

そんな地域の宿泊施設ですので、夜通しドラッグでクレイジーになっている人が外で叫び続け全く眠れませんでした・・。

そして次の日。

時差ボケもあり起きれず、おそらく朝の11:00くらいまでぐだぐだと寝ていたと思います。

すると!!!急に黒人の2メートル級の男性が、私の部屋に「バン!」と突然入ってきたのです!

わたしは大パニック!アメリカにいることも忘れ、思いっきり日本語で叫びました。

「ぎぇぇぇぇやぁぁぁぁぁ!!!」男性はすぐに出て行きました。

「な、なんなの!?鍵を閉めてたのにどうやって入ったの?鍵壊れてるの?!英語で説明なんてできないけど、そんなこと言ってる場合ではない!」急いでフロントに助けを求めにいきました。

なんと!!!・・あの黒人男性が、フロントのお兄さまでした。(笑)

いやぁ、大変申し訳ないことをしてしまいました・・・・。

どうも、ベッドメイキングのために入ってくれたようです。

「先程は突然叫んだりして、ごめんなさい!昨日初めて一人でアメリカに来て、不安で眠れない夜を過ごしたこともあって驚いてしまって。」なーんて、英語で説明できるはずもなく(笑)“sorry!!“の一言で終了。

その後、親切なお兄さんは笑顔でペラペラと話してくれましたが、何も聞き取きとれず私は笑顔でその場を立ち去りましたとさ・・・。

とほほ・・・。

とにかく、何もわからない。何も言えない。

留学は私の想像をはるかに超える大変さでした。

よく考えたら日本にいた時でさえ外国人留学生や帰国子女の英語が聞き取れなかったのに、さらにレベルの高い超高速 & スラング(日本語でいうところの「めっちゃ」や「やばい」などの俗語)だらけのネイティブ同士の英語なんて簡単に聞き取れる訳がないのです...。

おまけに誰も日本語では助けてくれない。

日本にいた頃は、 授業で分からないことも「ねぇ、あの先生、 今なんていった?」と聞けば全て解決しましたが、 ここには日本語を理解してくれる人が全くいません!

“Sorry?”と聞き返しても、 超速スピードで同じ言葉を繰り返されるだけ。

毎日朝から晩まで、 英語のリスニング CDを3倍速で聞いているような感覚!誰とも日本語を話せないことがこんなに苦痛だとは!

「あ、 あたまが痛い・・」英語を大量に消費し続けると、頭が猛烈に痛くなる。

そんな感覚を初めて味わいました。

 

大変なのは最初だけ!?

留学前は「大変なのは最初の3ヶ月くらいだろう♪」と思っていたのですが、実際にはどんどん辛くなっていきました。

何が辛いって、、、毎日感じるのは 「人からの拒絶」 と 「猛烈な劣等感」 だけ。

日本でとても人や環境に恵まれ、 ぬくぬくと育ってきた私は、少々悲しいことや悔しいことがあっても「これから努力すればなんだってできる!」「きっと誰かが見ててくれる!」と前向きに頑張れていたと思います。

でも、留学に来てから私の心は崩れました。

「自分だけ誰からも必要とされていない」「自分だけ存在すら気づかれない」という異質な日々。

誰もが英語が話せることが当たり前なのに、私は話せない。

嫌われないよう、ぎこちなく微笑むだけ。

明らかなため息をつかれたり、会話の途中で「もういいわ」 と立ち去られることがよくありました。

あんなに楽しみにしていた留学。

親にも大金を支援してもらった留学。

日本の友達からは「もうペラペラ?」と聞かれ、恥ずかしさと惨めさでいっぱい。

このチャンスを使いきれない自分がくやしい。

自分の頑張りが足りないのかな?

でも、これ以上何を頑張ればいいか分からない。

分からない!出来ない!私はダメだ!助けを求める先もわからず、一向に英語でのコミュニケーションがうまくとれない自分を責め続けました。

そのうち、人が近づいてくると心拍数が上って全身に汗。 夜は全く寝られない。

今振り返ると、あの時は心がおかしくなっていたと思います。

それでももがき苦しみながらなんとか1年を終え、無事に必要単位は取りました。

さすがに1年いたのでテニスのサークルに入ったり、教会の心優しい人々にお世話になったり、ちょっぴり恋愛したり(笑)楽しい思い出もあります!英語力も伸びました。

それでも私がずっと夢見てきた留学生活とは程遠く、完全に自分や自分の英語に対する自信を失ってしまいました。

日本帰国後も1年くらいは、 人と日本語を話すことすら少し怖くて「私といてもこの人は面白くないんじゃないか」「私は受け入れてもらえないんじゃないか」そんなふうに考えてしまっていたほどです。

 

【飛躍】結婚 「アメリカでのリベンジ!」

私は大学卒業後、 メーカーの海外営業としてバリバリ働きはじめました。

引き続き英会話に自信はない私でしたが、 他のおじさまたちより英文メールのやりとりや基本的なコミュニケーションは出来たので、海外出張も15ヶ国以上させてもらいましたし、インドやヨーロッパ、韓国、 アメリカなど世界各国のお客様と仕事が出来て本当に良い経験をさせていただきました。(これは英語を勉強してきてよかった、、と思えた瞬間でした!)

そして入社5年が過ぎたある日のこと会社同期の彼氏 (今の夫) が、 突然アメリカに駐在することが決まりました。

2ヶ月後には彼はアメリカに異動という状況だったので、急遽結婚を決め両家の顔合わせや婚姻届など・・・バタバタ!(笑)

海外転勤の多い会社だったのでアジアは覚悟していましたが、 「英語嫌いな彼(当時TOEIC300 点台)にアメリカ駐在はないだろう」と思っていたので、 本当に驚きました (笑)

「アメリカでまた暮らすのか・・わたし大丈夫かな?」と過去の悪夢がよぎりましたが、「ここを乗り越えなくては、 私は過去の挫折を抱えたままになる。」「一度退職したら元のキャリアには戻れないだろうけど、それでもよかった!と思えるくらい絶対成長して帰ってくる!」という気持ちで、退職。

この決意が大きなブレイクスルーとなりました。

もし再度アメリカに行く機会がなかったら、私は英語に対して一生コンプレックスを抱えたままだったかもしれません。

 

いざ、アメリカへ!

「英会話の学び直し」を決意した私は、アメリカでとにかく様々な手段を使って英会話を学び始めました。

具体的には Youtube、 オンライン英会話、公園で出会ったママ友と話す、 独り言英語、ポッドキャスト、 カルチャースクールでの英会話レッスン、 アメリカドラマをシャドーイング、洋楽を聞く、 子供の絵本の多読 etc・・・。

ありとあらゆる学習方法を試していきました。

・・・でも、学べば学ぶほど不安になっていきました。

「いくら学んでも知らない単語が出てくる・・」「いざ話そうと思うと、 やっぱり英語が出てこない」「自分が、ペラペラになる日は一生訪れないんじゃないか・・・」こんな風に思い始めると、 また弱気な自分が現れます。

「私にはやっぱり語学の才能がないのかも(涙)」

そんな時、ウクライナ人ママとの出会いがありました。

 

驚き「英単語は沢山知らなくてもペラペラ話せる」

私はカルチャースクールの英語レッスンに週に1回通っていました。

本場アメリカの英語レッスンといっても日本と授業スタイルはさほど変わらず、プリントが配られて文法問題を解いたり新しいイディオム(表現)を習ったりと、先生が授業を主導して進めるスタイルです。

そのレッスンでも新しいイディオムを覚えては次の日には忘れてしまう自分。

「こんなんで英会話ほんとうに上達するのかな・・?」 とやる気を失いかけていました。

そんな時、カルチャースクールで偶然出会ったウクライナ出身のママ友が、私に素晴らしい気づきを与えてくれたのです!

彼女の名前はサラ(仮名)。笑顔がたえない、とても素敵な女性でした。

サラとは、偶然にも同じマンションに住んでいたり、旦那さんのお仕事の都合で最近アメリカにやってきた、という境遇も似ていて、すぐに仲良くなりました。

そんなサラにはすでにアメリカ人のママ友が沢山いて、とても楽しそうでした。

はたから見る限り、サラの英語力は別に高くはないんです。

でも彼女はとてもおしゃべりで、英語でもストレスフリーで楽しそうにマシンガントーク!

一方の私は英語で何か話そうと思うと 「これ英語でなんて言うんだろう?・・分からない!」 で止まってしまう。

同じノンネイティブなのに、 彼女と私は何かが違う!!

そう感じた私は 「なぜ自分は英語が話せないのか?」をじっくり考え始めました。

私に足りないものは?どうして私は英語でマシンガントークが出来ないの?と考えた時に、ひとつ思い当たることがありました。

「100%正確に英訳しようとしすぎている」ということです。

会話をしていると伝えたいことが頭の中に浮かびます。

私はその出てきた日本語を翻訳するかのように、 忠実に英語にしようとしていたのです。(いわゆる学校の英作文ですね・・)

すると、「あれ、この単語は英語に出来ないぞ」とか「自分で言いたいことが分からなくなってきた!」と考えすぎてパニックになってしまう。

一方サラは難しい単語は使わずに、言いたいことを次々と表現していきます。

「サラの英語はシンプルだからこそ、ペラペラ話せるんだ・・・!」ということに気づきました。

私は27歳になるまで、 この大事なポイントに気付きませんでした。

なぜなら、私は「日本語を忠実に英訳する練習しかしてこなかった」からです。

英語をペラペラ話すためにシンプルな英語に変換する、という概念がありませんでした。

日本語を完璧に表現できる英訳を探していたからこそ「たくさん言葉を知らないと、英語はペラペラ話せない!」 と、 英語をとても難しいものにしていました。

高校英語も「難しい英語を使わなくてはいけない」という感覚を助長していると思います。

高校では受験に備えて難しい英語問題ばかり解くので、「英語は難しいもの」という感覚が日本人の意識の根底にあるのではないでしょうか・・ (少なくとも私はそうでした。)

話が戻りますが、サラの英語を聞いてから「英語には2種類ある」 ということに気づきました。

「ネイティブ英語」と「シンプル英語」です。

 

気付き 「ネイティブ英語とシンプル英語」

「ネイティブ英語」 とは、数万個の語彙力でペラペラ話す英語のこと。

「シンプル英語」 とは、 基本文法と基本単語でペラペラ話す英語のことです。

サラが使っていたのはシンプル英語。

シンプルだからこそ、習得しやすいし瞬時に出てくる。

実際ペラペラ話すノンネイティブの多くがシンプル英語を駆使しています。

このことに気づいた私は、 自分の中の「英語ペラペラの定義」 を変更。

「ペラペラ=出来るだけシンプルな文をたくさん話せる人」としました。

そして、その日から極力シンプルに、 瞬発的に英語を出す練習を始めました。

相手は、 英語で話すのを許してくれる人であれば、もはやだれでも構いません(笑)

公園で出会った人、 スーパーの店員さん、オンライン英会話、言語交換(日本語を教える代わりに英語を教えてもらうパートナーシップ)、プリスクールの先生・・・ありとあらゆる人と沢山話をしました。

思ったことを瞬間的に口に出す力を身につけるためにも「100% 忠実に英訳したくなる気持ち」とはオサラバ!

とにかく「シンプルに」 「素早く」言葉を出すことに集中しました。

会話中、 知らない単語やスラングにも沢山出会いましたが、 新しい単語をやみくもに覚えるのはやめて、基礎単語だけで表現する練習をしたのです。

最初はシンプルな英語ですらスラスラ出てきませんでしたが、何度も何度も練習を続けるたびにどんどん上達していきました。

次第に「あれ、 新しい単語やフレーズを知らなくても、 伝えられるんだな〜」と自分の英語に自信が持てるようになってきました。

シンプルだからこそ上達が早い!

そして何より自分の思いを相手にスラスラ伝えられるのが楽しすぎる!!

スラスラ話せるからこそ相手が自分の話に笑ってくれる!

相手が自分の話に乗ってくれる!

ここに、私がずっと憧れてきたものを手にした感覚がありました。

結果4年間のアメリカ生活は本当に楽しいものになりました。

アメリカ、メキシコ、インド、 トルコ、ウクライナ、南アフリカなどなど、さまざまな国のママ友と一緒に公園や互いのおうちで遊びながら、国による子育ての考え方の違いを知ったり違う国の家庭料理を教えあったり・・・。

時にはワンオペ子育てが大変すぎてお互い泣きながら励ましあったり。

彼女たちの存在のおかげで、 大変な乳児の子育ての時期はハッピーな思い出で埋め尽くされました。

 

まとめ「英語を話すために必要なこと」

大切な学びだったので繰り返しますが、 私に必要だったのは語彙力(その人が持っていて、適切に使いこなす単語の知識)を高めることでも難しい文法の理解を深めることでもなく、「出来る限りシンプルな英語で、 沢山話す練習」でした。

これは私だけでなく、多くの日本人に最も必要な練習だと思います。

このブログを読んでくださっている方の中には「英語も表現豊かにかっこよく話したい!」「子供には将来ネイティブのような英語を話してほしい!」と思われる読者の方もいらっしゃると思います。

ネイティブの英語ってかっこいいですよね!私もずーっとそう思っています!

ただ段階がある、 と思うんです。

私たちノンネイティブは、 まずは 「基礎文法や単語でペラペラ話せる状態」 を目指す。

これがホントーーーに大事です。

ネイティブだって赤ちゃんの頃は1語から始まり、 2~3語文になり… と、何年間も毎日5~10時間ほどこのシンプル英語を駆使してアウトプットをし続けてきた訳です。

だからこその今の英語力。

英語のアウトプットもインプットも圧倒的に足りない状態のノンネイティブが、シンプル英語を飛び越えて大人ネイティブ級に話そうとすること自体、かなり無理があるわけです。

ちなみにネイティブの大人は約 30,000 個の語彙を使いこなすそうです。

私たち日本人は大学受験までの6年間、 英単語を必死で覚えてもまだ5,000個程度。

残りの 25,000 個、1日3個、1個も忘れず毎日覚え続けても・・・25年かかる計算です!

シンプル英語を習得する前にネイティブ英語を目標にしてしまうと昔の私のように、いくら勉強しても 「言いたい英語が一向に出てこない状態」が続きます。

それではいつまでたっても英語コンプレックスは消えません。

皆さん、心当たりはありませんか?

「てるてる坊主」 「アジサイ」 など、 英語で言えない言葉に出会うたび 「覚えなきゃ!」と思う感覚。

しかし頻出単語でもないのに 「覚えなきゃ!」と思っていると、単語地獄にはまってしまいます。 (まさに昔の私!)

英単語は無限に出てくるのに、 使わなければ一瞬で忘れるもの..。

 

大事なのは 「基礎単語の使い方」

私たちは基礎単語とじっくり向き合って、それらをうまく使えるようになれば、 新しい単語を覚えずとも十分表現しきることが出来ます。

たとえばアジサイは hydrangea といいますが、あなたは1ヶ月後まで覚えていられますか?

たとえ覚えていたとしても、 アジサイが咲かない国の人には hydrangea と伝えても全くイメージができません。

一方、A flower in the rainy season.(雨季の花)ならどうでしょう?

中1で習う単語だけで表現できますし、どんな相手にもなんとなくイメージは伝わりますよね。

英語は自分の知識を証明する道具ではなく、相手に分かりやすく自分の考えを伝えるための道具でしかありません。

シンプル英語を意識するようになってから、改めて英語を使う目的を考えさせられました。

そして、ここでもう一つお伝えしたい大事なことは、この「シンプル英語」は相手に分かりやすいだけでなく、英語を苦手と感じているママたちでも十分習得が可能なのです。

頻出ではない単語の暗記は最小限にして、中学の基礎文法・基礎単語を駆使したシンプル英語をひたすら口に出して練習していきましょう!

私は現在、英語研究科としてママたちにシンプル英語をお伝えしていますが、英語を話すことに苦手意識を持っていたママたちからは「3ヶ月でこんなに自分が英語で話せるようになったなんて信じられない!」「こんな実践的なシンプル英語を学校で教わりたかった!」など嬉しいお声を沢山いただいています!